2013年暮れ

  • 2013.12.31 Tuesday
  • 18:36

霜月(十一月)廿九日         (冬至)

 

気がついてみればもう今年2013年も残り数時間しか無くなっています。今年は殆ど更新をすることができずに、昨年末の挨拶がフロントページにまだ残っていて心苦しい限りです。そのような中、存外のアクセスを頂きありがとうございました。せめてFM物理(力学編)の残り一つは本年末に間に合わせたいと考えていましたが、ちょっとした引っ掛かりがありもう少し時間がかかりそうです。

 

今年は世間では色々なことがあり、無論のこと個人的に色々な意見や見解を持っておりますが、ここでは止めておきましょう。政治、経済、生活など、とてもとても楽観できる世の中ではないと感じています。

 

さて最近読んだ本の中から、お勧めを何冊か紹介致します。

 

(1)「コミック昭和史1〜8」(水木しげる著、講談社文庫)

 

よく「現在の状況は昭和の初期によく似ている」という話を耳にすることがありますが、戦後生まれの私としては漠然としたイメージのみでなかなかピンと来ませんし、歴史の授業で現代史を熱心にやることは無かったと思います。この本は文字通りマンガ本ですが、非常に良く書かれています。書かれている事柄は「詳説日本史」(山川出版社)程度、それらの事柄について水木氏独自の突っ込みを「ねずみ男」の言葉で、自分史と並行させ現実感を伴い語っています。

 

水木氏の漫画としては「ゲゲゲの鬼太郎」などが有名ですが、むしろその裏に読み応えのある作品があると感じています。私は水木氏の戦記物(「総員玉砕せよ」など)から入り、仕上げとして「昭和史」を読みましたが、これらの戦記物を「昭和史」のエピソードとして位置づけることもできると思います。水木氏の作品は、当初の私のイメージ(少々いい加減な感じ)よりもずっとしっかりしたものが多いので驚いています。「いい加減な振り」をしているといっても良いかも知れません。


この本を読んで、自虐史観が入っているという人もいるだろうし、天皇を庇いすぎているという人もいると思います。しかしながら重要なのはおそらく「どのような要素が存在して、どのように時代が進んでいったか」という現実の流れであり、私はこの本の内容と「今」を照らし合わせるにつけ、背筋が寒くなっています。「昭和初期・戦中」もそうですが、「戦後初期」も相当なものです。

 

(2)「日本の奨学金はこれでいいのか!奨学金という名の貧困ビジネス」(あけび書房)


現在は大学進学率が非常に高い反面で、その50%程度が奨学金制度を利用しているそうです。確かに最近の大学の学費は、国立大学を含めてとても高額になっており、昨今の世の中の状況を考えると奨学金制度を利用しない訳には行かないでしょう。また、大学経営自体も奨学金制度によって成り立ちつつあるのかも知れません。この本では、今やサラ金並みの理念が貫かれている奨学金制度の問題点を追っています。奨学金は、いわば大人の自由意思により事業を始めるためにする借金とは、別のものであるべきでは無いのか?と感じました。まぁ、そんなことを言う方が野暮な世の中になりつつあるところが、本当に怖いところですね。

 

この本を読んで、さらに住宅ローンによって価格が維持されている不動産、それらを担保とする銀行や、年金を当てにしている高級老人ホームなどについても考えさせられ、その上で「告発人工透析死」(山崎敏子 現代書林(絶版))を並行して読んで、いわば幻影の上に成り立っている現代社会や、その中で暮らしている私自身について考えました。

 

よくよく勉強し考えなければ、「世の中」の好きなようにやられてしまうのでしょう(自戒を込めて)。

 

皆が皆の人生を最も良い形で全うできますように、そして何よりも平和でありますように。

 

* * * * *

 

今回はここまで。来年も宜しくお願い致します。

 

 

(2013年暮れ      完)

  

 

FM22(力学)23章(共鳴)   (1)

  • 2013.09.20 Friday
  • 00:25
 

葉月(八月)十六日      (白露)

 

ここから積極的に複素数(虚数を含む)を扱うことになる。虚数という言葉を「実際には存在しない数」と捉えると、実は負の数も「虚数」であると考えられるかも知れない(-1個のリンゴは現実には存在しない)。架空の数である負の数があるのであれば、二乗して負の数になる架空の数がなければ不自然な気がする。という訳で、余り虚数()を特別に考えることは良くないのかも知れないな、と感じている。

 

23−1:複素数と調和振動


 この単元(章)では、調和振動が関わる共鳴について説明を行っている。そして、調和振動に関する微分方程式を解いて行く過程で、オイラーの公式を積極的に用いている。オイラーの公式を積極的に用いるとは、三角関数が関わる微分方程式を、オイラーの公式:

 e =cosθ + sinθ

 

 の右辺に組み込んで、より扱いが簡単な左辺の指数関数の微分方程式として扱うことのように見える。これは一見するとかなり強引な扱いで、与えられた微分方程式をオイラーの公式の右辺の「実部」又は「虚部」の形に当て嵌めて、これを左辺の指数関数として扱い、その指数関数が含まれる微分方程式を解いた後に、まるでダウンロードされたソフトウエアを「解凍」するかのように、改めて当て嵌めた元々の式について解く、という手法である。単振動という現実の現象を扱っているにもかかわらず、特に「虚部」の式を解いて問題を解決することが可能というところが馴染みにくいところである。

 このような一見すると強引で都合の良い手法が可能な理由について、「とにかく受け入れよう」というような扱いの本もあるけれども、やはり素人としては首をかしげてしまう。これについて少し考え、調べてみたところ、おそらく以下の事項が鍵となるのではないかと考えられる。

 

「線形微分方程式には、1つの解が見つかったとすれば、その定数倍も解になり、2つの解が見つかったとすれば、その和も解になる。線形微分方程式のこのような特徴を『重ね合わせの原理が成り立つ』という。この重ね合わせの原理は非線形の微分方程式には当て嵌まらない

 単振動x方向の線形微分方程式: m・dx/dt  −kx

 の解:=cosωt=sinωt

 について、上記の重ね合わせの原理を適用すると、A、Bを任意のパラメーターとして、       cosωtsinωt、もまた上記微分方程式の解である。 

 

 運動方程式に現れる質量、バネ係数、時間、重りの位置、は全て物理量であり、実数の量である。ここに複素数が現れる余地はないように見える。しかし形式的に言えば、2つの実数の解、f(t)g(t)が得られたとして、これから重ね合わせの原理によって、上記の単振動x方向の線形微分運動方程式の解をつくるとき、定数A、Bは複素数であってもよい。そこで、=1、と置くと、

  ^(t)f(t)ig(t)は複素数の解となる。逆に、何らかの方法で複素数の解^(t)が得られたとすると、その実数部、虚数部をそれぞれf(t)g(t)として、左辺に右辺を移項した上記の単振動の線形微分運動方程式に入れると、

m・dx/dt kx

=[m・df(t)/dtkf(t)]+m・dg(t)/dtkg(t)

=0

である。複素数が0であるということは、実数部と虚数部が共に0であるということでもある。従って、上式の2つの[ ]内は共に0、すなわち、複素数解^(t)の実数部f(t)と虚数部g(t)は、共に運動方程式の実数の解となる。解が複素数となることを許すことで解くことが容易になるのであれば、まずは複素数の解を求め、後でその実数部又は虚数部をとることにより、実数の解、すなわち物理的に意味のある解を得ることができる。」(以上、「振動と波」(長岡洋介著、裳華房)より)

 

 なお、図23−1は「極座標」と呼ばれるものであり、複素数を偏角θと絶対値で規定することができる。このような表現とすることにより、複素数の計算がかなり楽になることが多い(=√、tanθ=y/x(θ=tan−1y/x)))。

 

 以上のことを前提に本単元を見てみると、

(1)まずは、上記の極座標における複素数の表現が紹介されている。

(2)次に、共鳴を生む力と仮定された力「cosωt 」を、上記の要領で「『iωt』の実数部分」であると置く前提が紹介されている。

(3)次に、位相の遅れがΔであるコサイン波の力「『i(ωt−Δ)』の実数部分」について、そのi(ωt−Δ)を、iωt−iΔとして、さらにこれを^iωtとする。

 

強制振動の運動方程式:x/dtkx/mF/m/m cosω

を、上式から、x/dtkx/m^iωt/m に加工して解くこととする。強制振動の振動数は、加えられる力の振動数と同じであって、またある振幅と位相を持っているゆえに、複素数x^で表され、その絶対値はxの振れの大きさを表し、その位相は時間の遅れを表す。よって、直前の上式を、^iωt/dtkx^iωt/m^iωt/mとすることが可能であり、これからiωtを微分して行くと、

ω^+(kx^/)=^/m となり、

^=^/ωω)     (ω)  が得られる。

 

これは前の章の「強制振動」の単元で得られた式と実質的には同じである。ωω)は実数であるから、^と^の位相角(偏角)は等しい。複素数としての大きさを見ると^の大きさは^の1/mωω)倍である。

 

23−2:減衰のある調和振動

 

 次は、前の単元の「強制力」に加えて、「摩擦力」を加味した単振動の運動方程式であり、

 摩擦力がその物体が動く速さに比例するとモデル化して、摩擦力()=−cdxdtとして、x/dt)+dt/dx)+kxで、さらにγωとして、両辺をで割って、(x/dt)+γdt/dx)+ωとすることができる。

 ここで再び、iωtの実数部分であり、iωtの実数部分であるとして、これらを直前の上式に代入して^を求めると、

^=^/ωωiγω)、すなわち、x^はF^の係数倍であることが示され、^=とすることができる。ここでρθとして、

^=ρθΔρi(θΔ、この式から複素数^の実数部分は、前記のようにρi(θΔiωtρi(θΔωt)の実数部分に等しく、ρは共に実数だから、それは、cos(ωt+Δ+θ)である。

 よって、ρcos(ωt+Δ+θ)となる。ρは応答の大きさを示し、θは応答の位相のずれを示している。

 ここで、ρθiqとも表現されることから(オイラーの公式を極座標に当て嵌める)

 ρωωiγω)(ωωiγω

  =/[(ωωγω

偏角(位相角)は、

 =(ρ-θωωiγω)、この式の右辺の実部と虚部に着目すれば、θa−1−γωωω)となる。

 

 図23−2でρωの関係が図示されている。この図に示されている「γ」は「共鳴の半値幅」と呼ばれるもので、Q値(=ωγ)と共に共鳴の鋭さを表す量である。γは小さいほど共鳴は鋭く、Q値は大きいほど共鳴は鋭い。もしもγが非常に小さければ、曲線の最も重要な箇所はωωの付近であって、ここの近似を用いて再びρを示すと、

ρ4mω[(ωωγ]となる。

[共鳴(2)に続く]

 

FM22(力学)23章(共鳴)  (2)

  • 2013.09.20 Friday
  • 00:19
 

葉月(八月)十六日      (白露)

 

23−3:電気的共鳴

 

 この単元では交流電源と3つの回路要素を絡めて、その単振動的な振る舞いについて紹介されている。3つの回路要素とは、「キャパシター」(コンデンサー)、「レジスター」(抵抗)、「(自己)インダクタンス」(コイル)である。

(1)キャパシター(コンデンサー)

 キャパシターは、例えば金属板2枚をほんの少し離して、その間に絶縁物の入っているもので、これらの平板が荷電(+qと−q)されると、その間に、ある電圧(電位差)(V)ができる。キャパシターの電位差は電荷に比例する。

 Vσε =qdεA は平板の間隔、は平板の面積)

  = (1/は比例定数であり、はキャパシターの容量(キャパシタンス)である) (はばね定数kに相当、は力学系の変位に相当)

 キャパシターにつないでいる電源の電圧が変化すると、キャパシターの電圧より高く、または低くなるので、電圧の高い方から低い方に電荷が流れ、電圧が発生する。電源の電圧が変化しない直流電源ではキャパシターを起点とする電流は流れない。


(2)レジスター(抵抗)

 オームの法則:RIRdqdt

 は抵抗係数γに対応


(3)コイル

 電流が流れているときにそれ自身の内部に磁場を生ずるもの。また、磁場が変化していると、dIdtに比例した電圧がコイルに生ずる。磁場は電流に比例し、コイル内のいわゆる誘導電圧は電流の変化する割合に比例する。

 LdIdt =Lddt 係数自己インダクタンスである。

コイルを基点とする電流は元々の電流の流れに抵抗する流れとなる(力学的振動系では「質量」に相当)。


(4)複素インピーダンスなど

 上記の3種類の回路要素を直列につないで、交流電源と回路(LC回路)を作ったとする。この回路の全体にかかる電圧V(t)は、

Lddt +Rdqdt V(t)

 比較のために、上記の力学系単振動の式を持ってくると、

x/dt)+dt/dx)+kx

であり、両者は全く同じ式であるといえる。そこで、複素電圧(^)、複素電流(^)、複素電荷(^)の考えを入れてみる。すると、

iωiω)+1/C^=

^=^/ωωγω)  (ωLCγ

ここで、^=dq^/dtω^を代入すると、

^=(ωω^=^(^は(複素)インピーダンス:交流電流の周波数に依存する)

また、LdIdtRI+(Idt

 

この複素インピーダンスについては、テレビやラジオのチャンネルなどとの関係で突っ込んだ話があるが、それらについては省略する。

 

23−4:自然における共鳴

 

 この単元には、表題通りいくつかの自然界における共鳴の例が紹介されている。しかし、さらりと述べられている個々の話は私には難しい。想像で書いている度合いが大きいので、余り信用しないでほしいし、深入りはしない。


(1)大気潮汐

 大気も海の満ち干と同じように、月の潮汐力により周期的な上下運動をしている。その運動は振動子としての運動である。月の潮汐力がその地球の周りの公転により「周期的外力」として働き、元々ある振動子の運動と月の潮汐力が一定周期でシンクロして共鳴を起こす。もしも月が突然無くなったとしたら、この大気潮汐運動は同時に無くなるのではなく、徐々に減衰して無くなって行くのだと思う。「そしてそれをはなして自由にできたとすれば、それはパチャンパチャンと上下にゆれるであろう。」とはこのことを意味しているのではないかと想像している。


(2)塩化ナトリウムの結晶についての話

 ここは赤外線吸収スペクトル(IR)の原理について述べられている。個々の分子間結合を振動するバネに見立て、分子中の原子がその位置で振動することによって分子全体の重心の移動や分子の回転を伴うこととなるが、ここに赤外線を照射したとき、赤外線の振動周期とある原子の振動周期が一致しない場合には、赤外線は分子に影響を与えないでそのまま透過するに過ぎないが、周期が一致する場合には、個々の原子や原子団はそれぞれの周期に応じてそのエネルギーを吸収して振動は基底状態から励起状態に変化する(共鳴)ので、振動周期に相当する波長の所で赤外線スペクトルの吸収となって現れる。これを分子構造の解析に応用するのである。


(3)核磁気共鳴スペクトル

 次の磁石がらみの話は、核磁気共鳴スペクトル(NMR)の原理について述べている。核磁気モーメント μγIhπは核スピンであり、核の質量数と原子番号によって決まる。γは磁気回転比と呼ばれる定数で各々の原子核について一定である)は、磁場をかけると量子力学系の特性に従ってある許された方向にだけ配向する。


(4)原子核の中における陽子と中性子の運動

 リチウム原子に陽子を衝突させるとγ線を出す反応が起こる。共鳴を起こす指標は、振動数ではなくエネルギーである。


(5)
Κ
中間子と陽子が作用し合う反応

 Κ中間子と陽子を衝突させると、あるエネルギー値のところで共鳴を起こす。これは新たな粒子の存在を示唆するものである(Λ粒子と、π中間子と、π中間子??)。

 

 

 

 

(共鳴    完)

豆乳スカッシュ?

  • 2013.09.02 Monday
  • 00:09
 

文月(七月)廿七日

 

今年2013年は、ピンポイントで異常に早い桜の開花と、これまたピンポイントで異常に早い梅雨明け等、何やら季節の移ろいにも「わざとらしさ」を感じているが、さてこの夏はどうか? 記録にだけは残る年となりそうではある。

 

私は今年も相変わらずクーラーはほぼ使わずに過ごしている。街中の施設や、電車でのクーラーは、ホッとして有り難いとは思うけれども、同時にそこを出たときに襲われる暑さを想像するとうんざりとしてしまう。クーラー無しの場合は、むしろ屋外の方が涼しく感じる。

 

特にクーラー無しで生活している者にとって、水分の補給は大切だ。しかし、冷たいものばかりを飲んでいるとバテてしまう。やはり最良の水分の補給手段は「熱いお茶」だと実感している。これであれば、多少飲み過ぎても瞬く間に皮膚から蒸散してしまい、悪さをすることは無いように思える。それでも気になる人は、少量の塩分を入れれば良いだろう。

 

とはいっても偶には冷たいもので体を慰めたくなるのも人情だ。

 

ビールは駄目だった。小さなメーカーの良心的な国産製品であるが、飲む傍から汗が毛穴から噴き出してくる。と、同時に蚊のターゲットになってしまう。おかげさまで蚊に刺されても当初が少し痒いだけで直ぐに直ってしまうが、ターゲットにされるのはそれだけで不愉快なものだ。蚊は人の気を的確に感じて、例えば、他のことに集中しているときに限ってステルス機のように攻めてくるので、厄介だ。ビールは本来、春と秋の飲み物だと思った。

 

そんなわけで、夏の冷たい飲み物といえば今は「炭酸水」が専らであり、偶にこれに無糖の梅酒やビネガー等を少量入れている。そんなある日のこと、良い豆乳が手に入ったので、これを試しに炭酸水で割って飲んでみたところ、炭酸水によって豆乳の濃厚感が適度に薄められ、炭酸の酸味も豆乳と相性が良くて結構美味しい。私の味覚なので保証はできないが、何よりも本当に良く体の熱を取ってくれた。

 

前口上が長くなったが、今回はこの『豆乳スカッシュ』を紹介しよう。

 

作り方は簡単。出来ればグラスにロックアイスを入れて、これがひたひたになるくらいの豆乳を入れて、さらにこれに炭酸水を加えて好みの濃さに調整して軽くかき回せば、それで出来上がり。

 

おそらく豆乳は未調整のそのまま豆腐を作れるようなものが良いと思う。豆腐は非常に優れた熱取りの効果があり、手当の世界では発熱時の救世主「豆腐パスター」としてよく知られている。調整品ではおそらく熱取り効果が薄れてしまうと思う。炭酸水には色々なものがあり、各々味も微妙に違うが、余りこだわる必要は無いと思う。別にそれが悪いとも思わないけれども、天然の高級な炭酸水だと、その内容成分によって豆乳が過剰に泡立ってしまうかも知れない。

 

好みで、ミントの葉や、塩、各種スパイス等を加えても良いかも知れない。甘みを加えるという選択肢は少なくとも私には無いので紹介せずに、想像にお任せすることにする。

 

さて紹介はしたものの、あくまで嗜好品であり乱用は禁物だと思う。また、クーラー使用時に飲むと体を必要以上に冷やしてしまうのではないだろうか。特に、普段クーラー環境の中にいる人たちには余りお勧めできない。それと、これを飲んで「体が全然冷えない」と思う人は、おそらく感覚が麻痺しているのだと思う。

 

「豆乳(炭酸)かき氷」というのも可能だとは思うけれども、これは過剰ではないだろうか。一度試してみたいとも思うが、今はその余裕も無く、多分調子を崩しそうなので、少なくとも今年はやらないで置くことにする。

 

さあ、おそらくもう夏も終わりだろう。

 

 

(豆乳スカッシュ?       完)

FM21(力学)21章(調和振動子)

  • 2013.07.08 Monday
  • 00:12
 

水無月(六月)朔日

 

21−1:線型微分方程式


線型微分方程式とは、微分を用いた線型作用素(線型微分作用素)
Dと未知関数と既知関数を用いて、Dy=bの形に書かれる微分方程式のことである(Wikipedia)

 
ここ(FM)では、n階の定数係数線型微分方程式(各aは定数)が挙げられている。

 x/dtn−1n−1x/dtn−1+・・+dx/dtf(t)

 
この微分方程式によりモデル化され得る現象として、

 ・バネに取り付けられたおもりの振動(調和振動子)

 ・電気回路の中で前後に流れている電荷の振動

 ・音を発生している音叉の振動

 ・光波を発生している原子中の電子の振動

 ・温度調節のサーモスタットのような自動調節機構の作動

 ・化学反応における複雑な相互作用

 ・食物の供給とバクテリア自身が作り出す毒物との間に干渉がある場合のコロニーの成長

 ・狐が兎を食い、兎が草を食うというような現象、

 
が挙げられている。

 

21−2:調和振動子

 
図21−2の「調和振動子の簡単な一例」に従い、フックの法則

F=mx/dt−kx → x/dt−x (k/m=1)

 
この式は「振動する式」であり、前に行った具体的な検証を経て、

x=cos t となる。すなわち、dx/dt=−i t

x/dt=−cos t−x

 

 ここで改めてkやmを求めようと、x=Acos t としても、

x/dt=−Acos t−xとなって、元の式(上の下線)に戻ってしまう。これは、線型微分方程式の最も重要な性質であり、方程式の一つの解にどんな定数をかけても、それもまた解になる。これは振り子(単振動)の定時性を示すものである。線形方程式が成り立つ場合(同じバネ、同じおもり)には、運動がどんなに強いものであっても時間に対しては同じように変化する。

 

今度は「時間の尺度を変える」ために、

 x=cos ωt とすると、dx/dt=−ωiωt

x/dt=−ωcos ωt=−ωとなり、ωk/mと置くことができる。

 x=cos ωt について、ωtは「位相」であり、これを2π(一回転分)動かすΔt(tとする)は「周期」である。

   =2π/ω2π√m/k

  
より重いおもりを使えばバネの上下に振動する時間が長くなる。また、バネが強ければ周期は短い。上記のように周期は初期条件(始動条件)には依存しないが、振幅は初期条件(例えば、どの程度バネを引っ張るとか、おもりに力を加えるとか)に依存する。

 

◇一般的な単振動の式は、以下の如くである。段々オイラーの公式に似通ってくる。

(a)x=acosω(t−t) あるいは

(b)x=acosωΔ) あるいは

(c)x=Acosωt  Biω


 ω
は角振動数(位相が1秒間に変化するラジアン数)

 は振幅(おもりの振れを与えるもの)

 ωΔは位相、Δは位相のずれ

 

21−3:調和振動と円運動

 
この単元は円運動をしている点の動きを円周平面方向(本文解説はy軸よりもx軸に重点を置いているように見え、ピンと錘が並んで投影されると記されているから、多分)に向けて投影したものが単振動の動きと等価なものであることを示している。これらからもオイラーの公式(極座標系)の匂いが感じられる。

→(補足)実は、本文の図21−3についての記載については首を傾げている。xとy(あるいはsinとcos)が逆なのではないかと考えている。ただ、ここの記載を間違いと断定するほどの確信は持てないので、一応、一般的に単振動の投影式として知られている有名な式を挙げておく。

 sinω0t

円運動のy軸への投影式を、単振動の錘の運動と等価とする方が素直であると思う。

  

21−4:初期条件

 
ここでは表題の「初期条件」についての前半の話は省略して、後半の単振動系の「エネルギー保存」についてのみメモしておく。単振動系では、

  
    x=acos
ωΔ)であり、について微分して、

  v=−ωiωΔ)である。

  
    単振動系の位置エネルギー:U=1/2kx=1/2kacos
ωΔ)

  単振動系の運動エネルギー:T=1/2mv=1/2mωiωΔ)

 よって、全エネルギー:E=1/2ω

            (∵ωiθ+cosθ=

 
つまり、全エネルギーは振幅の自乗に比例し、振幅を2倍にすれば4倍のエネルギーを持った振動になる。位置のエネルギーと運動エネルギーの振動の一周期における平均はいずれもE/2である。喩えが悪いけれども、昔恐怖映画で見た「振り子型ギロチン」を思い出す話である。

 

21−5:強制振動(単純系)

 
  強制調和振動子(外力が働いている調和振動子):

 x/dt−kxF(t)

 F(t)も振動している系を考えると、

 F(t)=Fcosωt とも表すことができる。

(入力振動数ωは、振動子の自己振動数ωと等しいとは限らない)

 この場合上記の下線式を解くと、一つの特解(定常応答の場合)は、x=Ccosωt、

 
 これを上記下線式に入れると(
ω)、

 −mωCcosωt−mωcosωtcosωt

 
 
ω−ω

 
 ∴x=
ω−ω) ×cosωt

 
は外力と同じ振動数ωで振動するが、その振幅はωと振動数の自己振動数
ωとに依存する。ωωよりも極めて小さければ、は定数化して変異の方向と外力の方向は同じであるが、逆の場合には自体が負になる。入力振動数が大きくなると、分母が非常に大きくなり振幅は大変に小さくなる。ωωが殆ど一致すれば、Cは無限大に近づくことになる。つまり、入力振動数と自己振動数を同期させると非常に大きな変異が得られる(共振、共鳴)。無限大の振幅は、バネ自体の抵抗力や、バネ自体が壊れる等の理由から、現実にはありそうもない。

 

 

(調和振動子   完)

 


※第22章(代数)は省略します。

 

梅酒の話 その後

  • 2013.02.13 Wednesday
  • 22:59
 

睦月(一月)四日            (立春)

 

冬に真夏の梅酒の話題というのは季節外れも甚だしいが、立春だし忘れぬうちに書き留めておくことにしよう(本音は時間稼ぎ)。

 

随分前に『梅酒の話』として、「無糖の梅酒は美味しい。しかし7年前に仕込んだ砂糖入りレシピの梅酒をどうするか思案中」、という内容の投稿をしたことを覚えている。

 

今回はその後日談です。

 

『入れてしまった砂糖を消すにはどうしたら良いか?』 日常の生活をあたふた送りながらも、頭からそのことは離れなかった。それでも時の経つのは早いもので、あれから約3年。7年物の梅酒は10年物の超ベテランになっている。

 

今は空前の発酵ブームらしく、色々な発酵食品が百花繚乱、手を変え品を変え、後から後から様々なものが紹介されている。その発酵の親玉の一つに酵母があることはご存知の通り。お酒は糖分を酵母がアルコールに変換することで出来上がる。酵母の食料は糖分なのだ。だったら酵母を使って砂糖を消せば良い。

 

そんなことを考えて、昨年の夏に誤って買ってしまった『甘ったるいレモネード入りのビール』に、リンゴ果汁から起こした酵母を入れてみたところ、非常にうまく行った。甘ったるいビールは、キリッとしたリキュール風の微炭酸飲料に変わってしまった。元々あるビールのアルコールが酵母の生育を邪魔するかも知れないと思っていたので、これは意外だった。

 

今年になって、今度はそれを梅酒に試してみようと思い立った。でもその前に黒々とした10年物の梅酒の試飲を、ということで少しだけグラスに注いで飲んでみた。

 

美味しい、美味しいなこれは。

 

黒くなって不気味な感じすらした梅酒は、意外なことにとても美味だった。元々の糖分も様々な酵素の作用を受けたのか、砂糖が持っている体の奥を刺すような感覚は全く無かった。敢えて言えば梅風味の紹興酒のような感じで、いわゆる食通であれば食前酒として飲んだら最高なのだろう。これは飲んだときに体がビシッと元気になるのを感じた。それはキャンディーなどを食べたときの誤魔化しの頭の冴えとは全く違うものだ。少量であればむしろ体に良いのだろう。体への善し悪しは理屈ではなく自身の感覚だ。体が喜ぶ食べ物と体に良い食べ物は、本来一致する筈だから。

 

ということであえなく酵母を投入するのは勿体ないという結論になり、そのまま放置ということに相成った訳です。

 

酵母を投入するという荒療治の他に、『時間』を投入するという手もあることに気が付かされました。

 

さてさて今回は行空き散文風で、ということで失礼致します。こんな文章ばかりだったら少しは楽なのかも知れない。

 

 

 

(梅酒の話 その後     完)

2012年の年末にて

  • 2012.12.31 Monday
  • 20:38


霜月(十一月)十九日                  (冬至)

 

残すところあと数時間で今年2012年も終わり、新たな年を迎えようとしています。ようやくのこと一段落ついてこの挨拶文を書いています。あと数時間なのだから新年の挨拶とするべきかどうか迷いましたが、それほど更新を頻繁に行うブログではありませんので、挨拶できるときにしておくことにしました。

 

今年は本当に色々な事がありましたが、結局は次元上昇することもなく普通にしています。今付け足すように、柄にも無くフルヴェンのベートーベンの第9交響曲を聴いています。私は「不器用な曲」という印象を持っています。これは悪い意味ではありません。

 

今年末までに一つ更新するという最低限の約束を、滑り込みセーフで果たせてホッとしています。今回は「核廃棄物シリーズ」の一応の最終回ということで、ようやく肩の荷が下りた感じがします。次回からは、FM物理の復活に加え、さらに新たなテーマを見つけて行きたいと思います。皆さんとの本ブログでの直接的な交流は今のところ出来ませんが、いつも見に来て頂いて本当に有り難うございます。余り自分の考えを押しつけず、このブログを見た皆さんに自分自身で考えて頂くことをモットーにしているつもりですが、結構アクの強いところがあるかも知れません。また、更新が中々できずにイライラさせてしまうことが多いのかなと想像しています。

 

が、これらに懲りずまた来年も宜しくお願い申し上げます。皆さんが良い新年を迎えられますように。

 

 

(2012年の年末にて    完)

 

(核廃棄物3) 原発と核兵器について(1)

  • 2012.12.29 Saturday
  • 23:05
 

霜月(十一月)十七日                  (冬至)

 

原子力発電の最も大きなリスクとして「核廃棄物」を挙げ、何回かに渉りその危険性を示してきました。今回は多分その最終回です。今回のテーマ「原発と核兵器」は、シリーズを書いた当初から結びとして考えていたもので、できれば書きたくないという気持ちと、書かなければこのシリーズを終わらせることができない、という気持ちが交錯し、結果、中々書き出すことが出来ないでいました。

 

何故このテーマかというと、第一にご存知の通り、原子力発電は原子爆弾の開発に伴い、その「平和利用」の試みとして生まれてきたものであり、歴史的にも原理的にも両者は切っても切れない関係にあり、中でもプルトニウム原爆の材料は原発の核廃棄物の中に「有り得る」ということです。第二に、原子力発電の推進派も、反対派も、殺し文句として「核兵器や核武装」という言葉を使うことがあり、それを言われると半歩後ずさりをして固まってしまう感覚を否定できません。これが「センチメント」なのかどうかは分かりませんが、それに対して即座に突っ込みを入れることができる位の整理が必要と考えています。原発を推進しようとする立場からすると「国防のために(核兵器を製造する潜在的な能力担保のために)原発は必要」と主張するだろうし、逆に原発を潰してしまいたい立場からすると「原発を放置しておくと核兵器の開発に繋がるから原発は潰すべき」と主張するのでしょう。腹を据えて、突っ込んだ納得のできる意見を真正面から求めるべきだと思います。

 

色々と素人が出来る範囲で調べました。当初私が考えていたイメージと、出来上がった今回の投稿の内容とはかなりのズレがあり、結論から申し上げれば、肝心なところはブラックボックスでした。さらに上出来とは言えません。核兵器に関する本当に正確な情報を集めることは難しいし、それらが表に出るべきだとも思わない。ただ、そのブラックボックスの輪郭らしきものが掴めれば、誰かが何かのアジテーションの目的で「核兵器/核武装」という言葉を用いたときの思考停止を、ある程度は防げるのではないでしょうか。

 

ここでは核兵器の中でも、原発と直接的な繋がりのある原子爆弾(原爆)を取り上げつつ、私の考えるブラックボックスの輪郭を主に技術的な側面からなぞってみたいと思います。なるべく主観を入れないでなぞるようにしているので、平板な感じとなり、さらにまるで私が核武装の推進論者のように感じられるかも知れません。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という格言が相応しいかどうか分かりませんが、どうかご理解下さい。

 

今回参考にした書物等を挙げておきます。常識レベルの説明が主なので、大部分は引用を省略させて頂いています。

・「原子爆弾」(山田克哉著、講談社ブルーバックス)

・「図説危険な話」(株式会社フュージョンプロダクト)

・「原子爆弾の効果」(企画と援助 米国国防省及び米国原子力委員会 指導 ロスアラモス科学研究所、主婦之友社発行)

・「原子力・核問題ハンドブック」(和田長久 原水爆禁止日本国民会議、七つ森書館)

・「MOX総合評価」(七つ森書館)

・「プルトニウム」(友清裕昭著、講談社ブルーバックス)

・「プルトニウムの恐怖」(高木仁三郎著、岩波新書)

・「原発と原爆」(有馬哲夫著、文春新書)

・「核兵器のしくみ」(山田克哉著、講談社現代新書)

・「第二のフクシマ、日本滅亡」(広瀬隆著、朝日新聞出版)

・「もういやだ−原爆の生きている証人たち−」(原水爆禁止世界大会 長崎実行委員会)

 

奇しくも「原発と原爆」(有馬哲夫著、文春新書)が刊行されていました。この本は原発と原爆を巡る政治的な取引の過程が主な内容となっています。思想的に曲げられていないかと疑いつつ、半身の構えではありますが、この本も今回の参考にしています。

 

 

1.原子爆弾開発までの足取り

1896年にヘンリー・ベクレルがウランから放射線を発見し、1898年にマリー・キュリーがラジウムを発見してから、広島・長崎に原子爆弾が投下される1945年まで僅か50年弱である。しかも、1938年の核分裂が発見からその3年後の1941年までに分かったことは、ウランが核分裂を起こし、それが連鎖反応を起こすことまでであった。その時点では連鎖反応の実験的な確認すらなされていなかった。つまり1941年においては、原子爆弾を実際にどうやって作るのか設計のしようもない状態であり、ただただ相当の技術的な困難と膨大な費用が予想され、相当の時間がかかることも科学者の間では想定内だった。

 

1キログラムの物質中には1024で表されるほどの多数の原子核があり、このような膨大な数の原子核からゆっくりとエネルギーが放出されるのが放射線である。これは個々の原子核が異なる時刻に放射線を放出することによる。そしてエネルギーをどの位ゆっくりと放射するかは放射性元素の種類による。ゆっくりと放射する元素は半減期がそれだけ長い訳である。そして、この膨大な数の原子核に秘められている強力なエネルギーを一遍に取り出すことができれば瞬時に膨大なエネルギーを得ることができる。そのためには、中性子を原子核にぶつけて取り込ませることにより核を壊せば良いことが分かった。これが核分裂である。核分裂の連鎖を全くの制御無しに短時間のうちに起こし、これにより凄まじい破壊力を生ずる存在が原子爆弾であり、制御をしながら生ずる核崩壊熱で湯を沸かしてその力でタービンを回すのが原子力発電である。その発電の過程で燃料棒が「核廃棄物」へと変換される。

 

上に書いた通りのままならない状況から、米国による「原子力時代」は極秘のうちに信じられないスピードと瞬発力で誕生した。原子核の分裂の破壊力を制御する競争でドイツに打ち勝とうという1939年のフランクリン・D・ローズベルト大統領の指示により、アメリカの科学者たちとナチスから逃れたヨーロッパ最高の頭脳とが手を組み、合衆国陸軍工兵隊マンハッタン管区のもとで作業が開始された。手の込んだ表看板と、それらしい別の口実をつくり世間の目に触れずに、全国に点々とする研究施設でマンハッタン計画要員たちは、核分裂の秘密を解き、原子爆弾の開発に向けて日夜努力した。その裏にはナチスドイツが原子爆弾の開発に漕ぎ着けているという強力なプレッシャーがかけられていたという。この計画には、全く新しい産業が秘密のうちに生み出される必要があった。僅か数ヶ月の間に工場、研究所、製造所がニューメキシコ州ロスアラモス、ハンフォード、ワシントンD・C、そして、シカゴなどの合衆国の色々な場所に登場した。何万、何十万人の建設労働者、工場労働者、物理学者、冶金学者、化学者、工学者、医者(プルトニウム人体実験を行った)、管理職、監督、タイピスト、事務員が必要だった。そして、1945年の初夏、ついに物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの指揮により、厳重に警備されたロスアラモス研究所で原爆の原形が作られ、トリニティーにおけるプルトニウムを用いた原子爆弾の核実験を経て、同年に広島・長崎に原子爆弾が投下されたのである。広島へのウラニウム爆弾は核実験無しで投下された。(続く)

(核廃棄物3)原発と核兵器について(2)

  • 2012.12.29 Saturday
  • 23:02
 

霜月(十一月)十七日                  (冬至)

 

2.原子爆弾とは


 ウランは、天然にある元素の中で最も原子番号の大きいものであるが、自然界では質量数が234(0.006%:半減期は2.35×10
),235(0.712%:同7.07×10年),238(99.282%:同4.51×10年)という3種の同位体の混合物として存在する。このようにウラン238が大部分を占め、爆発物として用いられるウラン235は僅かであり、ウラン234は無視できる程度である。量の多いウラン238は高速中性子を作用させると核分裂を起こす。つまりウラン238に高速中性子を当てると、核分裂も起こるが同時に放射性捕獲反応も起こる。しかしながら、遅速中性子では捕獲反応しか起こらない。極僅かのウラン235は、高速中性子でも遅速中性子でも核分裂が起こる。ウラン238が中性子の捕獲反応を起こすと、まず質量数が1多い「ウラン239」となって、極短時間でβ(−)崩壊を起こして「ネプツニウム239」となる。これがさらに短時間でβ(−)崩壊を起こして「プルトニウム239」となる。このプルトニウム239は、プルトニウム型原子爆弾の爆発物であり、ウラン235と同様に遅速中性子でも高速中性子でも核分裂を起こす。

 

極簡単に書いてしまうと、この核分裂前後の原子核系の総質量の差が「E=mc」の式に相当する莫大なエネルギーを放出する。原子爆弾ではこのような核反応が中性子を介した連鎖反応として瞬時に起こり、莫大なエネルギーが、閃光と火の玉と衝撃波、さらに強烈な放射線となって周囲を悉く破壊し、人命を奪う訳である。原子爆弾は、爆発物がウランであるか、プルトニウムであるか、によって大きく分けられる。広島型の原爆はウラン型であり、長崎型の原爆はプルトニウム型であった。単位当たりの爆発力はプルトニウムの方がやや大きいが、広島と長崎の地形の違い等によって、被害は広島の方が大きかったと伝えられている。淡々と書いているが、両者とも残虐な大量破壊兵器であることに違いはない。広島型の原爆の外観は比較的スリムな形の「リトルボーイ」であるが、長崎型は大きな球状の「ファットマン」である。この形状の違いは、両者の起爆原理の違いを表している。上に書いたように広島への原爆投下が核実験なしで行われたのに対し、長崎への原爆投下は事前にトリニティーで核実験が行われた。これは、プルトニウム型の原爆の方がより難しい技術であることが反映されたと思われる。

 

(1)ウラン235の調達方法


 
上に書いたように、天然ウランの大部分はウラン238であって、ウラン型原子爆弾の爆発物となるウラン235は約0.7%と極僅かである。これは両同位体の半減期の差に基づいていると言われる。地球の誕生当初は両者(ウラン234も含めて)ほぼ等量であっただろうものが長い年月を経てこのような差になったのである。そして、天然ウランでのウラン235の含量を上げる作業が「ウラン濃縮」である。ウラン235の含量が大きいウランを「濃縮ウラン」という。原子力発電では、ウラン235含量は2〜5%程度の低濃縮ウランであるが、原子爆弾として用いるにはほぼ100%(90%以上)までウラン235の濃縮を行わなければならない。ウラン濃縮作業自体はとても難しく、特に原爆級の濃縮ウランを製造するためには大変な費用と時間がかかると云われている。それはウラン238と235は陽子の数が同じで化学的には全く同じ性質であり、違いはごく僅かの質量の差のみであるからだ。ゆえにウラン濃縮では化学的な分別法を用いることができない。大がかりな物理的な分別設備が必要になるわけである。ウラン濃縮法としては、「電気磁気法」、「ガス拡散法」、「レーザー法」、「遠心分離法」、がある。これらのうち「電気磁気法」は最初に行われた分別法であり、ガス状にした天然ウランに高電圧をかけてイオン化したウランを電場で加速し、さらに磁場の中に導入することによる円運動の大きさ(軽いウラン235の方が大きな円を描く)の極僅かの違いを利用してウラン235を繰り返し選別する方法である。「ガス拡散法」は、ウランを気体状の六フッ化ウランとして、両同位体の六フッ化ウランの運動速度(軽いウラン235の方が速く運動する)の極僅かの違いを利用してウラン235を繰り返し選別する方法である。「レーザー法」は、レーザー光を用いることにより気化させたウラン235を選択的にイオン化することができるらしい。このイオン化したウラン235の電気的な性質を利用してウラン濃縮を行う方法というが、詳しいことは分からない。おそらくこのレーザー法が最も先端的なウラン濃縮法であろう。そして、「遠心分離法」は現在最も一般的に行われている方法と考えられ、六カ所村のウラン濃縮装置もこの方式である。北朝鮮やイラン関連で「遠心分離装置」という言葉を聞くことがあるが、これはウラン濃縮のための装置である。原子力発電のみならずウラン型原爆の開発に結びつくために大騒ぎとなる。その原理は、例えば「六カ所村×ウラン濃縮」と検索をかけると日本原燃のHPがヒットされ、そこに詳しく説明されている。これは気化した六フッ化ウランを遠心分離にかけて、遠心分離器の内側に分布する軽いウラン235を繰り返しピックアップするウラン濃縮法である。日本では、イエローケーキ(八酸化三ウラン)を輸入し、これを六フッ化ウランに転換して、これを濃縮して発電に用いる酸化ウランとしているが、様々な理由から大部分を輸入に頼っているのが現状のようだ。六カ所村のウラン濃縮設備を兵器級の濃縮ウランの製造に転用することができるか否かについては全く分からない。

 

(2)プルトニウムの調達方法


 上に書いたようにプルトニウムはウランが中性子を取り込むことにより主に原子炉内に生成する事実上の人工元素である。原子炉内とは、軽水炉の場合は「使用済み燃料棒」のことを指す。理論上は天然にも存在するはずであるが、宇宙の年齢からすると半減期が著しく短いので、天然に存在しても痕跡程度である。

 使用済み燃料棒からのプルトニウムの取り出しは、ピューレックス法と呼ばれる化学的分配方法により行われる。化学的分配法といっても、取り扱う対象が対象だけにその操作は困難を極めるものである。六カ所村の再処理工場がトラブル続きであることを見ても、この再処理がどれほど困難で危険なものか想像できる。水プール内で4年以上保存された使用済み燃料棒(ただし、使用済みMOXはこんな短期間では済まない)を輪切りにして、硝酸で溶解し、不溶物を除去した後、リン酸トリブチル(TBP)を用いてウランとプルトニウムを抽出する。この段階の廃棄対象となる硝酸画分は大変に危険な高レベル核廃棄物であり、現在ではガラス固化の対象となっているが、これが我が国でまともに成功していないのはご存知の通りである。ウランとプルトニウムが溶け込んだTBP画分からプルトニウムを析出させて、これを硝酸で再抽出する。大雑把な説明であるが、このようにしてプルトニウムを使用済み燃料棒から分離することができる。このように書くと簡単なようにも感じられるかも知れないが、この過程は大変な危険を孕んでいる。少しのミスや故障が取り返しの付かない結果をもたらす可能性がある。このように危険ではあるけれども、おそらく上に書いたウラン235の濃縮に比べると、再処理によるプルトニウムの抽出は低コストと短時間で済むのだろう。私には危険性はむしろこちらの方が上だと感じられる。さらに想像するに、日本が核武装の主要な対象として想定しているのはウランではなく、プルトニウムである可能性が高い。ただしこれは騒がれるのがプルトニウムだから、ということから来る根拠の無い、あくまでも想像に過ぎず、本当のところは分からない。

 

(3)兵器級プルトニウムと原子炉級プルトニウム


 
原子炉のウラン燃料中には、ウランの燃焼度に応じて様々な同位体組成のプルトニウムが生成する。原子炉でできる5つの主要な同位体のうち、奇数の質量数を持つプルトニウム239と241が核分裂性(遅速中性子により核分裂を起こす)で、基本的に原子炉の燃料として使うことができる(ただし、これは危険なプルサーマル発電である)。従って、原子炉の燃料として使うという目的からすれば、重要なのはこの2つの核分裂性の同位体である。しかし、核兵器の設計には殆ど純粋に近いプルトニウム239が好まれる。その理由は良く分からないが、これはほぼ常識レベルで言われている。また、質量数が偶数の中性子を放出するプルトニウム238と240は「早期点火」を生じさせる可能性があり、そうなると爆発の威力は大幅に落ちることになる。

「プルトニウム」42頁を参照すると、核兵器級プルトニウムでは「プルトニウム238(0.01%以下)、239(94%以上)、240(6%以下)、241(0.25%以下)、242(0%)」であり、原子炉級プルトニウム(核燃料用と記載)では「プルトニウム238(2.0%)、239(56.4%)、240(23.9%)、241(11.3%)、242(6.4%)」とされている。

このような「プルトニウムの質の違い」は、どのようにして現れるのかというと、一つは原子炉の種類である。現在主流となっている軽水炉は兵器級のプルトニウム239を効率的に生成させるという意味では不向きであるらしい。核分裂の対象としてウラン235に限定されている原子炉よりも、天然ウランを核分裂の対象として用いるタイプの原子炉(重水炉等)において、プルトニウム239が取り出しやすい傾向があるようにも思える。高速増殖炉のブランケットと呼ばれている天然ウランが用いられる部分では、兵器用プルトニウムの生成が容易に行われるという話もある。高速増殖炉は「爆発性の液体ナトリウムが血液となっているゴジラ」であるから、本当に実用化されることはどう考えてもないと思うし、無理矢理実用化されることにでもなったら、この国の仕舞であろう。そしてもう一つは「ウラン燃料の燃やし方」である。ウラン燃料を燃やしている時間や程度が大きくなると、プルトニウム239以外のプルトニウム同位体が増加するという。例えば、軽水炉でプルトニウム239を多く含んだ兵器用プルトニウムを得ようとするならば「軽くあぶる」に止めることが必要であるらしい(「プルトニウム」38頁付近)。兵器用原子炉とは、むしろ燃料棒を圧力管毎に個別に取り出せる燃料交換が容易なタイプのものではないかと、この本には記されている。通常の発電用の軽水炉は、圧力容器の蓋を開けて燃料棒を取り出さなければならないので、兵器用プルトニウムの効率的生産には向いていない(「プルトニウム」43頁付近)。

 

それでは、通常の使用済み核燃料の中に含まれる「原子炉級プルトニウム」では原子爆弾を作ることができないか? それは非常に重要な問題であり、これが私の考えるブラックボックスそのものに近いが、これについて言及する前に、原子爆弾の起爆装置について簡単に説明する。

 

(4)原子爆弾の起爆装置


 
原子爆弾も、他の爆弾と同様に起爆装置が必要である。そして、その起爆装置はウラン型とプルトニウム型では異なるものとなる。ウラン型(当初)は比較的単純であるが、プルトニウム型は複雑である。広島・長崎の原爆投下前に実験が行われたのは、プルトニウム型のみであり、当初のウラン型であれば予備実験無しの「ぶっつけ本番」が可能と思われる。

 まずは原則から。つまり原子爆弾が爆発するための基本的な条件と、その条件に合った起爆装置についてである。原子爆弾が爆発するには、核分裂が起こり大きなエネルギーが放出されると共に、原子核分裂の連鎖反応が起こることが必要である。原子核が連鎖分裂するためには原子核に1個の中性子が取り込まれたなら、その原子核が分裂する際により2個以上の中性子を放出することが必要である。核分裂を起こすような原子核の中性子対陽子の割合は、分裂してできる原子核よりも一般に大きいのだから、実際に原子核が分裂すれば複数の中性子があぶれて来る。このようにして放出された中性子は、また他の原子核を分裂させることが可能であり、その結果更に中性子が放出され、これが更に核分裂を起こさせと、極短時間のうちに次々と続いて行く。原子爆弾での核分裂連鎖反応が起こり、全ての反応が完了するまで100万分の1秒に満たないと言われている。一瞬のうちに核爆発は起こる。

 

実際の原子核分裂反応では、放出される中性子の全てが他の原子核の分裂を起こすのではなく、捕獲作用によって原子核内に吸収されて分裂を起こす中性子は一部であって、残りは反応物質(ウラン235)の圏外に飛び去ってしまう。もしもこのようにして失われる中性子の数が、原子核分裂により放出される中性子の数よりも多くなれば、核分裂反応はすぐに止まってしまう。そしてこの中性子の逃げ出しは爆発物の表面付近で認められるものであり、爆発物の表面積の大小に左右される。一方で中性子を放出する核分裂は爆発物の内部で起こるから、その頻度は爆発物の体積に比例する。従って中性子が逃げ出すために減って行くのを防ぐには、爆発物を一定以上に大きくすればよい。形が大きくなるにつれて、爆発物の表面積よりも体積の増加が進み、一度始まった核分裂は放っておいても止まらないようになる。この大きさを核物質の「限界寸法(臨界質量)」という。

 自然界には中性子が飛び交っており、核物質を臨界質量以上にしておくと、その中性子が基となって自然爆発を起こす可能性がある。だから爆弾を爆発させるまでは2つ以上の部分に分けておき、その各々が臨界質量よりも小さくなっていなければならない。そしてこれを爆発させるためには、それらを急速に結合させる必要がある。結合速度が遅いと中に込めた中性子源からの中性子が結合しきっていない核物質において中途半端な連鎖反応を起こし、余り大きなエネルギーを放出しないうちに爆弾が壊れて飛び散ってしまう(「立ち消え」(fizzle))。その他、中性子源として用いるイニシエーター(ポロニウムとベリリウムの組)や、原子爆弾の外郭である「タンパー」に関しても重要であるが、ここでは省略する。

 ここに書いた原理を用いて製造されたウラン型の原子爆弾が広島型原爆であり、「ガン式」と呼ばれている。2つに分かれたウランの一方を銃(ガン)で撃つように、強力な爆薬を用いてスピード結合させて臨界質量で融合したウランを起爆させるところに由来する名称である。

 

次は例外である。原爆の開発当初における上に書いたガン式原子爆弾についての検討の結果、プルトニウムでは、この「ガン」方式を適用することが不可能であることが分かった。理由は、兵器級プルトニウムであってもプルトニウム239の他に少量含まれているプルトニウム240同位体の存在である。プルトニウム240は、「トンネル効果」による中性子の取り込みを伴わないで起こる自発核分裂の確率が突出して高く、ガン方式を採用した場合、砲弾側のプルトニウムがターゲット側のプルトニウムに衝突する前に、プルトニウムが自発的核分裂を行うことにより中性子が中途半端に発生してしまい、上に書いた立ち消え状態となってしまうからである。この問題を解決するために「インプルージョン(爆縮)式」核爆弾が開発された。非常に複雑なので詳細は省略するが、中心にアルミホイルで仕切られたイニシエーターを入れ込んだ真球の臨界質量よりも小さいプルトニウムを配置し、その周りを真球のタンパーで覆う。そして、球体の最外周に均等に配置された爆薬の爆発による衝撃波を球体の中心に向かわせるように設計された衝撃波レンズを、その爆薬の内側に均等に配置する。これらは極めて難しい技術である。衝撃波レンズの働きにより球体の中心に向かう爆薬からの衝撃波で、プルトニウムコアは中心に向かって急激に縮み込むことになり(爆縮(インプルージョン))、その過程でイニシエーターのアルミホイルが破れてポロニウムとベリリウムの接触し中性子が発生して、プルトニウムコアでの核連鎖反応が瞬時に起こり、極めて強力な核爆発に至る。この方式では、プルトニウムが臨界質量よりも小さくても、急激に縮み込むことにより密度が大きくなり核爆発が起こるのである。縮むまでの時間が極めて小さいのでプルトニウム240が自発核分裂をする暇がない。

 

以上述べたように、広島型原子爆弾は「ガン方式」を用いたウラン型原子爆弾で、「ガン方式」のスリム型の形状で「リトルボーイ」と呼ばれ(最初はシン・マン(痩せた人)だったらしい)、長崎型原子爆弾は「インプルージョン方式」を用いたプルトニウム型原子爆弾で、「インプルージョン方式」の球形状で「ファット・マン(太った人)」と呼ばれた。現在では、ウラン型でもインプルージョン方式が採用されているらしい。臨界質量以下でも核爆発を起こすことができる利点ゆえということである(「核兵器のしくみ」182頁付近)。ただ原理的には、ウラン型原子爆弾は大変なウラン濃縮の過程があるものの起爆装置は比較的単純で済むが、プルトニウム式原子爆弾は、プルトニウムの分離のみで済むが起爆装置として必ず複雑なインプルージョン方式を用いなければならないということになる。繰り返しになるがプルトニウムの分離とは、六カ所村で行われようとしている危険で深刻な環境汚染を伴う使用済み核燃料の再処理である。簡単な問題だと、これを錯覚して頂いては困る。(続く)

(核廃棄物3) 原発と核兵器について(3)

  • 2012.12.29 Saturday
  • 22:59
 

霜月(十一月)十七日                  (冬至)

 

3.ブラックボックス

 以上極簡単に原子爆弾の沿革について書かせて頂いた。これらは、以下に示す日本が核武装する場合のブラックボックスを理解して頂くためのものである。ただし、あくまでも私の中で考えたものなので、的が外れていたら申し訳ない。

 

(1)ウラン式の原子爆弾の配備は可能なのか?

 これについては前記したように全く分からない。ただ、ウラン式の原子爆弾であれば、原子炉は必要無く、コストと手間は掛かるかも知れないが、危険性や環境負荷はプルトニウム式よりも少ないような気がする。無論のこと本当のところは分からない。

 

(2)原子炉級のプルトニウムで原子爆弾は製造できるのか?

 これについては色々と言われている。一部では原爆には原子炉級プルトニウムは用いることができないという意見もあるが、性能は劣るが出来ないわけではないというのが一般的な見解のようだ。が、この問題は色々な要素を含んでいるので、並列的に事柄を示すのみとする。

・米国では1962年に原子炉級プルトニウムで核爆弾を作り、ネバダで地下核実験を成功させている。原子炉級プルトニウムでは立ち消えが起こる確率が高いが「ブースター爆弾」の開発によって、その危険は大きく低減される(「原子力・核問題ハンドブック」146頁)。また、立ち消えが起こっても、相当の爆発力は維持されるという。

・「ブースター爆弾」とは、水素爆弾の研究から生まれた技術である。インプルージョン式爆弾と同じように、球体のプルトニウムを中空にして、中心部に少量の重水素と三重水素の混合ガスを注入する。高性能爆薬で爆縮を行うことにより核分裂連鎖反応が始まると、X線と中性子線が放出され、X線束の強い熱と爆縮による圧力で混合ガスが核融合反応を起こし、密度の高い中性子が放出され残りのプルトニウムを核分裂させる。この方式により、プルトニウムや濃縮ウランの量を節約して小型の原爆開発が可能となるだけではなく、原子炉級プルトニウムのようなプルトニウム239の比率が少ないプルトニウムを使用しても立ち消えの危険を著しく低減できる、という。インドの原爆はこのブースト式であり、イスラエルやパキスタンの原爆も同様という(「原子力・核問題ハンドブック」143頁)。私見を述べれば、インドが独自開発でこの方式を開発したとは考えられず、どこかからの技術供与があったはずである。だから、従来のインプルージョン式の爆弾の可能性も、このブースター式爆弾の可能性も、おそらく外部からの技術供与如何にかかっていると思われ、色々な要素によってのブラックボックスだと思う。当然、私などに分かることではない。

・「原子爆弾の効果」には、「放射能戦」という単元(303頁)が設けられており、核兵器(核汚染物)による放射能汚染を主眼とした「汚れた兵器」としての効果を真剣に検討している。

 

4.核兵器の配備に原子力発電は必要か?など


 
話を元に戻す。政治家などが「日本にも核兵器を!そのためには原発推進!!」と叫んだときに、どのように考えるべきだろうか。上に書いたように、ウラン型の核兵器の場合には、原子炉は必要無い。プルトニウム型であっても、仮に原子炉級のプルトニウムでも原爆を作ることができるのであれば、日本には既に原子炉級のプルトニウムの原材料となる使用済み核燃料が「売るほど・捨てるほど」あって困っている。これ以上供給が必要な理由はないだろう。残るのは、兵器級プルトニウムを得るためということになるが、書いた通り軽水炉は兵器級のプルトニウムの製造には向いていない。中途半端なことを続けても、リスクだけ生じて環境を汚し続けるだけである。核武装の夢の前に、日本が核廃棄物処理列島になってしまうのではないだろうか?


 「原発と原爆」224頁には、「原発は単なる電力生産のための工場ではない。特別な協定を結んだ外国から供給される濃縮ウランを核反応させ、プルトニウムという核兵器の原料を生成する原発は、国際政治の中で色々な、そして玄妙な働きをするツールとなりパーツとなりカードとなる。(中略)現在の状況で、日本が核武装すべきかどうかは筆者には分からない。将来、日本が核武装すべきときがくるかどうかもわからない。だが、いえることは、それを使うにせよ、使わないにせよ、カードは持っておく必要があるということだ。カードがなければ、使うか、使わないかの選択肢すらない。そして、必要になったとき、あるいは必要性に目覚めたとき、それが既に失われていたら、もう打つ手はないのだ。」と書かれている。確かにそう思うけれども、果たして現状の原発が「カード」となり得るのか私は疑問を持っている。ブラックボックスを伴う良く分からないところなので断言できることは何もないけれども、この有馬氏の言葉を素直に受け取ることはできない。戦争になった場合、原発が攻撃ターゲットになってしまう可能性を考えると余計にそう思う。むしろ私はこの言葉から、日本の農業や伝統技術や精密技術などを連想した。気が付くと日本製の多くの製品は手に入らなくなっている。外国に生産拠点を移してしまい存在しないから当然だ。いったん生産を止めてしまえば同レベルのものは二度と作れないだろう。


 また、政治家などが「核武装を行うために憲法を改正する!」と叫んだ場合はどうだろうか?実は現行憲法のもとでも日本は核武装の検討を既に行っているということを、「原発と原爆」で知った。故障続きの東海原発(イギリスのコルダーホール型)のみだった佐藤政権の頃に「日本は数発の核爆弾を製造できるが、核戦力は持ち得ない。また、それを持とうとすれば、アメリカや同盟国から見放され孤立した状態で、ソ連や中国の核の脅威にさらされることになる。また、核戦力を保持することは経済的にも人的にも大きな負担を負うことになる。従って、日本が核武装をすることは得策ではなく、核不拡散条約に調印して、アメリカの核の傘と国際的安全保障の枠組によって、仮想敵国の軍事的脅威に対処していくべきである。そして、アメリカなどから核燃料の供給を受け、原発によって将来のエネルギー需要を満たし、経済的繁栄を築くべきである。」(「日本の核政策に関する基礎的研究」という報告書から、「原発と原爆」147頁付近)という判断を下しているようだ。つまり、現行憲法のもとで、「防衛専力」ということで核装備を位置付けて、色々な要素との利益考慮の末に「アメリカの核の傘」に入ることを決定していったという経緯があったらしい。これを考えると「核武装=憲法改正」とするのは短絡的なのではないかと思う。憲法の改正で一般の市民が恐れるべきことは、憲法9条の改正ではなく、むしろ充実した「人権条項」の制限ではないかと考えている。ここではテーマが違うため余り書かないが、現在の憲法がアメリカの押しつけという人がいるけれども、私は一般市民にとっては有り難い「頂き物」だと思っている。現在の憲法にはヨーロッパの人々が勝ち取った「国家権力からの自由」(権利章典から)がふんだんに盛り込まれている。日本国憲法97条には
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪ヘ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と定められている。どうもこの条項を削除しようとする動きがあるらしい。これは一体何を意味するのだろう?歴史的に見た国家権力の願望からすると「自由は国家から与えられるものである」ということにしたいのだと思うが、それでは国家にとって必要な人間のみが「人権」を与えられることになり、現行憲法とは全く異なるものとなる。「国家にとって必要」という意味がどのように動いて行くのか全く想像が付かない。今(2012年末)の政権は憲法96条の改正を目指すことを公言しており、憲法改正手続を容易にすることを目指しているというが、これは事実上マスコミのコントロール下に置かれてしまっている一般市民にとっては大変危険な事柄であると感じている。さらに付け加えれば、私がここで言っている「憲法に定められた国民の人権」と「人権擁護法案」とは全く別である。私は、この「人権擁護法案」には断固反対だ。オーエル風の美しい名称に騙されてはならないと思う。憲法改正によって「日本国民の人権」が制限されて、その上に違う勢力が乗っかり支配する、例えば現在のイスラエルのような社会を、一部の人たちが目論んでいるのではないかと疑っている。いわば「憲法における人権の制限」と「人権擁護法」による「日本国民のサンドイッチ状態」の実現である。一方的な妄想とも思えない。(続く)